・あさのあつこ『バッテリーT〜X』角川文庫

これも『西の魔女が死んだ』と同じく児童文学ですが、子どもでなくなった人にこそ読んでほしい物語です。

児童文学についての意見をもう少し書くと、そもそも「子ども」と「大人」の区分自体が近代合理主義の生んだもので、人間の幻想だと俺は思っています。
だから「児童文学」と「一般文学」という分け方はあまり好きではなく、ただ「面白い物語」とそうでない物語、「難しい物語」とそうでない物語があるだけだと思っています。
「解りやすく、面白い物語」が児童文学というジャンルに埋もれて発見されなくなるのはとても哀しいことだと思うのです。


というわけで『バッテリー』です。
全六冊、の予定ですが現在文庫では五巻まで出ています。

本来完結してから感想を書くべきかもしれませんが、今このときの想いを記しておきたくて、書きます。


これは、夢を仲間と共に追い続けることの難しさを語る物語だと俺は解釈しています。

例えば、最初億万長者を目指して友人三人が起業したとします。
ビジネススキルを上げ、業績を上げ、どんどん先に行くにつれて一人がついていけなくなったとします。
徹夜の残業も厭わず、精力的に働き続ける二人に対して「俺は普通の生活がしたいんだ」と言って辞めます。

また少しして、二人残ったうちの一人が、ついていけなくなったとします。
どんどんスキルを上げて先へ行く一人に、努力しても努力しても能力的についていけなくなったとします。ついていきたい、でも俺ではあいつについていくだけの力がない。
絶望の中、諦めに似た感情を得て「済まん」と辞めます。


何の話かって?
『バッテリー』はそういう物語だ、という話です。

何かを始めることは意外と簡単で、続けることは難しいと言います。
「明日から早朝ジョギングを始めよう」と友人三人が走り始めるのは案外簡単なものですが、一人が「オリンピックを目指そう」一人が「町内マラソン大会で優勝を目指そう」一人が「ダイエットしたい」と思っていたら、続けるうちに感情・意見のすれ違いが必ず出てきます。
蓋を開けたら同じものを目指したいと思っていた、なんて現実では希有です。


俺にはダイレクトに上記のような経験があります。
だからこの物語の行く末を、二人のバッテリーの選ぶ道を見届けたいのです。

そして、かつて好きなものに追いすがろうとして屈したあなたに読んでもらいたいのです。

2006.8.19(土)記